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天一国三年天暦八月四日【陽暦九月十六日】天一国経典平和経〈8、救援摂理史の原理観 人間の完成は愛に対する責任を持つときに可能〉 P116, 『第三に、子女に対する愛 の責任性です。子女達の誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合 一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛で養育されることを願います。父 母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にして あげる真の愛の生きた要素を提供することです。家庭が貴い理由はそのためです。生活 的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、 真の家庭以外にいかなる所でも得ることはできません。』
天一国三年天暦八月二日 【二〇一五年九月十四日】天一国経典平和経《8.救援摂理史の 原理観ー人間の完成は愛に対する責任を持つときに可能》 P116『神様が許してくださ った真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性なしに個々人が愛の自由だけを主 張して実践すれば、どれほど大きな混乱と破局がもたらされるでしようか。至高な愛 の理想を達成する人間の完成は、愛に対する責任性を持つときに可能なのです。その責 任性とは、次の三点を考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様 に感謝しながら、自己修養、自己管理によって自由な真の愛の主体となる責任です。人 における愛の責任性は法や世間体のために守られるではなく、神様との生きた縦的な関 係の中で、自己主管、自己決断によって守られるものです。
天暦7月27日「2015年9月9日」天聖経(8、救援摂理史の原理観)
P114『真の愛の主体者あられる神様は、その真の愛の相対者として人間を立てました。
神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成されるのです。神様の創造目的は、神 人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象なのです 。無形の神様のみ前に、見える体として生まれました。人間は完成すれば神様の聖殿 になります。
神様が自由に、また安らかにいつでも入ってきて暮らすことができる有 形の実体です。
神様の絶対的な真の愛の全体的な理想は、人間を通して、父母と子女の縦的な関係で実現し、完成します。