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天一国三年天曆八月五日【陽曆九月十七日】天一国経典平和経、救援根理史


原理観 「メシヤは神様の血統を接ぎ木して下さる真の人」


P218『復帰摂理の 根本は、いかにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだ すかなあります。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を 清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、 真の父母を、いかにして誕生させるかということです。』


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天一国三年天暦八月四日【陽暦九月十六日】天一国経典平和経〈8、救援摂理史の原理観 人間の完成は愛に対する責任を持つときに可能〉 P116, 『第三に、子女に対する愛 の責任性です。子女達の誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合 一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛で養育されることを願います。父 母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にして あげる真の愛の生きた要素を提供することです。家庭が貴い理由はそのためです。生活 的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、 真の家庭以外にいかなる所でも得ることはできません。』



天一国三年天暦八月二日 【二〇一五年九月十四日】天一国経典平和経《8.救援摂理史の 原理観ー人間の完成は愛に対する責任を持つときに可能》 P116『神様が許してくださ った真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性なしに個々人が愛の自由だけを主 張して実践すれば、どれほど大きな混乱と破局がもたらされるでしようか。至高な愛 の理想を達成する人間の完成は、愛に対する責任性を持つときに可能なのです。その責 任性とは、次の三点を考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様 に感謝しながら、自己修養、自己管理によって自由な真の愛の主体となる責任です。人 における愛の責任性は法や世間体のために守られるではなく、神様との生きた縦的な関 係の中で、自己主管、自己決断によって守られるものです。