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天一国三年天曆八月二十三日【陽曆十月五日】平和経9.神樣の祖国光復原理観》
P133『今日、この新千年紀の時代にするべきこととは何でしょうか。これまで神 様も解放されず、真の父母様も解放されなかったですが、これからは神様の王権定着のもとに解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけません。監獄に 入ったとしても、恐れてはいけません。むしろ、天国に早く行きたい人がいるなら、若くして行けばどれほど良いのでしょうか。損をするでしょうか。天上天下の 宇宙全ての私が私の手の中に入って主人になるのに、なぜ否定しますか。死んでも生きても心配することはありません。』
天一国三年天曆八月二十一日(安侍日)【陽曆十月三日】
平和経9.神樣の祖 国光復原理観》P132『神様も同じであり、真の父母も同じですが、天国に行 く人はどうでしようか。神様も、生きようという生命を生かしてあげるため には、その反対に、死ぬような立場に行かなければなりません。そうでなけ れば、生きるように支えることができません。網を掛けて崖から落ちた人を 助けるためには、死力を尽くして引き上げてこそ、人も行き神様も生きるの です。』
天一国三年天暦八月20日 【陽暦十月二日】 平和経9.神様の祖国光復原理観》 ■131
『「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡の世界に生きてい る人がたとえ死ぬ立場に行っても、蕩減できれば、生き返るということです。 死ぬことを悲しみ、逃げたいと思う人は永遠に復活圏がありません。ですか ら聖書には「自分の命を救おうとする者は、それを失い、それを失う者は、 保つのである」 (ルカ一七・三三) とあるのです。』